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zoom RSS 錦帯橋設置の着想

<<   作成日時 : 2017/08/26 19:52   >>

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山口県岩国市の錦川に架かる錦帯橋は木製眼鏡橋として有名だが、眼鏡橋にするという着想は幕末に生まれたらしい。まだ長崎に出島があった時代、貿易のために中国からやって来て通訳をしていた者の中に陳氏がいた。鎖国と共に日本永住を決めた中国系の富商を家祖とする家系の出である。帰化するにあたって苗字も変え穎川(えがわ)としていた。当初は貿易を営み、鎖国後は通訳(唐通事)になった。隠居後は僧になり、独健と称した。杭州に名医がいて、やがて長崎に来たのを独健は手厚くもてなしたが、やがて出家して独立と称した。寛文4年(1664年)、岩国城主の吉川浩正・広嘉父子が独立に診断を乞うたので、独健共々岩国に入った。岩国の城館の前を錦川が流れ、橋が架かっていた。「あの橋は洪水の度に流れます。何か良き智恵はありませんか」と、吉川広嘉が聞いた。独立はたまたま持っていた「西湖史」を広げた。そこには湖水の景色が描かれ、アーチ式の石橋がかかっていたのである。吉川広嘉はその絵を見て、ヒントを得た。木造でアーチ式の橋を作ろうと思い、実現した。これが今の錦帯橋である。現在では数年に一度架け替えが行われてはいるが、発想は当時のものである。
ということが、故司馬遼太郎の「この国のかたち 4」に書かれている。私たちは数年に一度2日がかりでカヌーで錦川の川下りをしており、錦帯橋は身近な存在であるが、橋建設のいわれは知らなかった。今でこそ九州地方にはあちこちで石橋を見かけるが、中国には当時からアーチの石橋は至る所にあった。日本では当時は少なく吉川氏も珍しかったに違いない。中国の石のアーチ橋をヒントに、吉川氏は木製の幾重にも連なるアーチ橋を思い付き実現した。彼もなかなかな者ではないか。

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