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zoom RSS エリートの本質

<<   作成日時 : 2018/07/03 13:57   >>

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世の中には少数ではあるがエリ-トと呼ばれる人たちがいる。日本では、縁の無い大方の人々は毛嫌いしてやまない集団である、その言葉を「聞くだけでも嫌!」という連中も多い、特にリベラルを自称する輩には。
元来どの国においても本物のエリートがいないと国が成り立たない、とても重要な存在なのに日本では何故嫌われるのか?私の想像では、多分本物のエリートでないからではないだろうかと思う。日本では、一流の大学を卒業して、一流の会社や中央官庁に勤め高給を食み立派なマンションに住まいする、所謂、学校秀才・学歴秀才や特別な政治家を江r-トと呼んでいる。では、彼らが皆立派な仕事をしているかと言うと、そうでもない。各種の不祥事を起こしたり、曖昧な答弁をり返して世渡りが上手な者が数多くいる。彼らの中に、潔く責任を取った者がいたであろうか。私が見た限りでは、彼らはいざという時、真っ先に逃げる。言い訳に長けたただの保身の徒であるように見える。エリート呼ばれ、立派な仕事をしなくても出世街道をひた走るエスカレータに乗って重役になりトップになり、定年後は子会社や関連企業・機関に高給で天下ったりする。
私がイメージする本物のエリ-トとは? 「エリート」は極めて特殊な「ノブレス・オブリ-ジュ(高貴なるも者の義務)」と同じように、崇高な意味を持つ、重い言葉だと考える。一流大学卒だけではエリートとは言わない。本場イギリス・ロンドン生まれの仕事仲間(オックスフォード卒の生粋のイギリス人)から聞いた話だが、第1次世界大戦の時最も死傷率の高かった士官は、オックスフォード大学やケンブリッジ大学の卒業生であったという。彼らは進んで最も危険な前線に出たからである。国や国民を守るために身を挺したから、エリートとなるのである。日本にも昔はいた、司馬遼太郎の小説にはエリートとノブレス・オブリージュを体現した男たちが大勢登場する(坂の上の雲 等)。また作家・開高健は「位高ければ役多し」と言っているが、同時に「位高ければ役重し」であり、これが本物のエリートではないだろうかと思うにだが、如何であろうか。

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