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zoom RSS 百害あって一利なし

<<   作成日時 : 2017/08/22 16:56   >>

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最近学校では小学校の低学年から英語の時間がある。また2020年からはプログラミングの授業も始まる。現座の子供は一昔前に比べて忙しいのである。勿論英語が出来て英会話もでき、且つプログラムも作れてICTやIoTにも即応できる人を育成することは重要であり必要事項であろう。世の中がグローバル化して、いつでも誰でも世界中の人々とコミュニケーションできることは好ましい。だが、そんなに詰め込むと、まともな日本語を使えるようになるだろうかという心配も残る。4月17日に亡くなった英語学者であり知の巨匠と呼ばれている渡辺昇一の書「英語知のの追求」で、彼は現在文科省が推進しつつある日本の英語教育に苦言を言っている。
曰く、文科省は百害あって一利なしの英語早期教育を推進しつつある。また、企業は何を錯覚してか、わざわざ二流、三流化をもたらしかねない社内英語公用語化という愚かなことを真面目にやろうとしている。相当の時間とエネルギーを英語学習に注ぎ込んでも、アメリカの中学生並みには中々行けない。こんな英語で社内コミュニケーション、仕事をやっていては、創造性、論理力でアメリカの一流はおろか、二流、三流の連中にもとても太刀打ちできない。そんなことがどうして分からんのか! と、言う訳である。
確かに実態はそうであるが、世界中が英語中心で動いているから文科省や企業は英語教育の充実を望むのであろう。それはそれで結構なのだが、思考の元は母国語であるから、先ずシッカリした日本語が出来ることが大前提である。勿論創造性、論理力も必要。ここの所の矛盾に正解は無い、要はバランスの問題かも知れない、感性の差かも知れない。私も学生時代は英語が嫌いで本気で勉強せず、社会に出てから大いに苦労した思い出がある。しかし、会社に入ってからの猛勉強で何とか乗り切った。必要性を身をもって感じないと、お仕着せの学習では時間とエネルギーだけをかけることとになって得るものが少ないという結果に終わる。知識は多い方が良いだろうが、誰もが一流の英語使いになる必要はないのだから、この辺りをどのように考え対処するのかが決め手である。もっといい知恵が出せないものであろうか。

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