独りごと

アクセスカウンタ

zoom RSS 生物としての人間の定義が揺らいでいく

<<   作成日時 : 2017/08/14 16:08   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

千葉雅也・立命館大学准教授と山際寿一・京都大学総長の対談を文芸春秋で読んだ。SNS全盛の時代、そして能率最優先の現在社会の将来を気に掛ける二人の話は面白いのだが、これからを生き抜く心構えを聞いているようで大いに為になるのではないかと思う。
ネットを介したコミュニケーションの発達で、最近の大学生は周囲との同調圧力を一層強く感じているようだ。周りに合わせ、似たものを皆で好きになる。更に「好き」という感情、「楽しい」という経験をSNSでシェアする。そういう”ノリ”を楽しみ、その”ノリ”からズレないための術を身に着けようと必死になっている。こんな社会の中で、専門分野の知識を深めたり、世界や社会の別の在り方を考えるといった「勉強」をするためには、勇気をもってノリの空間からあえて一度浮き、排除される立場に自分を曝すことが必要なのだと、千葉は言う。相手と波長を合わせることも必要だが。現在はそれが過剰になり過ぎているのである。「勉強するズレること」「勉強することは自分が変わること」なのである。多くの若者たちは、フェイスブックやツイッターのタイムラインに流れて来る情報を中心に物事を考えている。本を読んでも、内容を部分的にしか理解せず興味のある個所や利用できるトピックスしか頭に入れない。
社会も、目先の結果を出すために効率性一辺倒で動いて行っている、無駄に見えるものは排除するという風潮が強くなっている。教養学部の廃止、哲学など何の役に立つのかと言われてしまっているのである。効果が出るまでに時間がかかったり、時間の経過の中で熟して行くものこそが、本来社会の中で厚みや幅になって行く筈のに・・。そして、その厚みや幅こそが社会の共同性を支えるものであり、根本原理なのだということが忘れ去られようとしているのである。
映像技術やAIの進歩により、人間の五感まで衰弱し人間らしくない人が出現することになるかも知れない。人間の五感の中でも触覚、味覚、嗅覚は身体に密着しているから中々裏切ることは無いが、視覚と聴覚は外部からの刺激に騙され易い。更にゲノム研究も進み、人間の身体が内部からも作り変えられつつある。またコンピュータやICT、AIの発達により、「考える」「覚える」といった脳の機能を身体の外部に出し始めている。
生物としての人間の定義が揺らいでいくかも知れない状況の中で、人は哲学を学び教養を身に着けて急ぎ過ぎずを心掛け、人間らしさを失わないような勉強をして行かねばならないのである。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
生物としての人間の定義が揺らいでいく 独りごと/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる